DEICIDE

(ディーサイド)

DEICIDE

Member

Glen Benton (Vocals&Bass)
Steve Asheim (Drums)
Jack Owen (Guitar)
Ralp Santolla (Guest Guitar)

DEICIDE Biography

DEICIDEがAMONという名の下、メタル界アンダーグラウンドとして名高いフロリダ州タンパでスタートしたのは1987年のことだった。当時は、グレン・ベントン(Vo,Ba)、エリック(Gu)&ブライアン(Gu)のホフマン兄弟、スティーヴ・アシェイム(Dr)という布陣であった。当時からサタニック・メタルを標榜し、エクストリームなメタルをプレイしていたが、そんな折デモがROADRUNNERの耳に入り契約となる。その頃バンド名をDEICIDEに変更している。そして記念すべき1stアルバム"DEICIDE"が1990年にROADRUNNERよりリリースされ、2ndアルバム"LEGION"が続けざまに1992年にリリースされた。このアルバムでDEICIDEの名は全世界に広まり、アメリカのデス・メタル・シーンにアンチ・クライスト・デス・メタルとしての確固たる地位を築く結果になる。しかしその独特の歌詞や音楽、そしてライヴでの過激な演出により、ライブハウスからは締め出され、雑誌からはボイコット、クリスチャン団体からはブラックリストに載せられるなど、バンドは悪名を高めていく。
2ndアルバム"LEGION"のリリース後、AMONの1993年に創られたデモ、"FEASTING THE BEAST"を再発。その後1995年には3rdアルバム"ONCE UPON THE CROSS"をリリース。彼等はいくら糾弾されようが全く落ち着く気配もなく、キリストの腸が抉り取られる様を描いたジャケをこの作品に使った。このジャケットはもちろん厳しい検閲の対象となるが、このことが更にDEICIDEの名を広めることとなる。
1997年、4thアルバム"SERPENTS OF THE LIGHT"を、翌1998年にはライヴ盤"When Satan Lives"を発表する。この頃グレンは父親に。 
2000年5thアルバム"INSINERATEHYMN"を、2001年には6thアルバム"IN TORMENT IN HELL"をリリース。この作品で長らくパートナーであったROADRUNNERと袂を分かつ。しかし、2002年11月には新たなレーベルとしてイギリスの名門、EARACHEとワールドワイドな契約を交わす。そして装いも新たに7thアルバム"SCARS OF THE CRUCIFIX"を2004年2月に発表した。ロードランナー時代の後期2作は、グレン本人曰く「やっつけ仕事」だったそうだが、この作品でDEICIDEは本来持ち合わせる攻撃性とデス・メタルの速さが全面に押し出され、正にDEICIDE復活の印象を深くファンに植え付けることができたと言えよう。しかしその後1stアルバムから活動を共にしていたホフマン兄弟が揃って脱退。その後任としてグレンのもう一つのバンドであるVITAL REMAINDSのDave Suzuki(Gu)とこの時はまだサポートだった元CANNBAL CORPSEのジャック・オーウェン(Gu)が加入し、2005年にライヴDVD"WHEN LONDON BURNS"をリリースする。

そして約2年半振りとなる8thアルバムとなる8th"THE STENCH OF REDEMPTION"が2006年にリリース。このアルバムから、元DEATH(ツアーG)、ICED EARTH、そして自身のバンド、MILLENIUM等で活躍を見せるラルフ・サントーラ(Gu)が正式加入。また、こちらも一緒にツアーをしていた元CANNBAL CORPSEのジャック・オーウェン(Gu)も正式加入した。ラルフの強烈且つメロディックなプレイ・スタイルと、ジャック・オーウェンのアグレッシヴなギターがDEICIDEに新しい血を導入した結果、バンドの新境地さえも伺わせるアルバムとなった。翌2007年にはLAで収録された映像を収めたライヴDVD「DOOMSDAY L.A.」をリリースし、活動は順調に進んでいった。

そして本作のレコーディングも終了した矢先、前アルバムから加入したラルフ・サントーラが脱退してしまい、同じフロリダはタンパをベースとする伝説的デス・メタル・バンドOBITUARYに加入することになった。しかし脱退したとは言え、彼の流麗でテクニカル&メロディックなギター・プレイが堪能できる本作は、前作の作風を踏襲しつつ更に邪悪に極悪に変貌を遂げた。「死が二人を分かつまで」というタイトルと共に、悪魔の祭典は終わることなく続いていく!